バックナンバーは
こちら

 第一回
平成14年4月
落語のルーツは
お坊さんの説教

 

まったく個人的な話しで失礼いたします。

今年の4月19日早朝。
布団のなかで落語を聞きました。
勿論、枝雀師匠の落語です。
「不動坊」「道具屋」。

この日は枝雀師匠の3年目のご命日。
1999年4月19日午前3時01分 享年59歳。

私の生き甲斐だった噺家さんとの別れの日でした。
初めて落語を聞きに行ったのは高校生の時。
米朝さんの会だったと思います。
大学時代は落語は少し興味があるくらい。
でも枝雀さんが前名の小米さん時代は何だか気になっていました。

23歳から梅田の太融寺さんのお手伝いに行くようになり、
落語会場によく使われることで落語家さんとの出会いも増えてきます。
それと枝雀さんの落語会へも頻繁に足を運ぶようになり、
落語大好き、枝雀大好きどっぷり生活が始まります。

とにかく通いました。
枝雀さんの六日間連続独演会枝雀十八番もすべて見ました。
単発も英語落語も、
お芝居も、
枝雀さんの出るところ追っかけしてましたね。
テレビで夜遅くあった枝雀寄席はビデオに残っています。
何度繰り返してみたことか。

どの噺が好きと言うより、すべてが好き。
枝雀さんが好きでしたね。

代書屋の留さん、
宿替えの親父、
崇徳院のクマはん、
不動坊のユーさん、
高津の富の一文無しの オッサン、
船弁慶の雷のお松さん、
青菜の植木屋、
ある晴れた日の出来事の天神山 等々。

どの登場人物も枝雀さんが演じると、
不思議な魅力を持って迫ってきます。

必ず寝る前にはテープで落語を聞く、
枝雀ワールドに浸って眠りにつく。
ずっとそんな 生活でした。
そういえば高野山の研修会も落語テープ持参でした。

生き甲斐という大変重たい言葉ですが、
私にとってはまさに生き甲斐に値する噺家さん。
人生を豊にしてくれた、力をイッパイくださった恩人です。

落語大好きのコーナーをすすめていくのに当たって、
この話は欠くことができません でしたので、
敢えて亡き枝雀さんに登場願いました。
ご冥福を祈ります。

 

合掌
常福寺 松尾光明

常福寺のホームページ
松尾僧正へのメールはこちら

密教カフェトップページへ戻る